夜大雨。
折りたたみ傘があって良かった。
忙しないと日付感覚がおかしくなる。

「理」が理解できなくても、「とりあえず」できる人もいるので すが、最終的には「理」を理解していないと、それ(業=結果)を確認することができず、説明することもできません。
そういう技術(行 動)は、結果として他者に伝播させることができませんから、客観性を持たない。
つまり、 「なんとな くできる。でも、自分でも良く分からない」 というものになってしまう。
そして、「よく分からない けど、できる」というのは、単なる偶然の連続に過ぎない。つまり、「再現性」に乏しいのです。
そして、「再現性」に乏しいということ は、 「次も勝てる(負けない)かどうかは、運しだい」という、きわめて不確定な 領域を脱し得ないのです。
だからこそ、武芸の世界では古来から、「事理一致」ということが常に問われているのですし、一流の武芸者たち は自分の業を言語化する試みを、世阿弥の『風姿花伝』以来、数百年に渡って続けているのでしょう。
一方で「理」の追求=言語化を究極ま で突き詰めた上で、それでも「言葉にできない」部分というのが必ず武術にはあります。これを古人は「口伝」としてきました。
「術」の全 てが言語化できるわけではないということも、我々、武術・武道人は忘れてはなりません。
— 新・流れ武芸者のつぶ やき つよみの太刀、事理一致、そして稽古への切迫感/(武術・武道)
