ネクタイって、服の中でも生命に関わるような役割はない。
無くても寒さに凍える事はない。
ネクタイは17世紀ころ、フランス兵が無事に帰還する様に恋人から送られたスカーフを首に巻いた事が起源で、18世紀にかけては首に布を巻くスタイルが一般男性の正装とされた事によるらしい。
でも、とくに意味は無い。
ハイヒールはかかとが高く作られた靴で、婦人靴特有の形だ。
靴がこの形になる事により、運動能力が下がる事はあるだろうが、生活に有用ではない。
背を高く見せる靴としては紀元前から原型はあるようだが、1600年代にフランスの町に散らばる汚物を踏み難い様に底面積の少ない靴として発明されたようだ。
発明当時には意味があったかもしれないが、現在は汚物を踏まない様に履いている人はいないので、とくにかかとが高い意味は無い。
それらに意味は無いけれど、現在も当たり前の様に生活に入り込んでいる。
絵画だって同様、とくに意味があるわけではないが、その存在は続いている。
これは・・・単に「良かったから」ではないかと思う。
顔の近くにある程度色面のある何か(ネクタイ)があると、単に良かったのだと思う。
足が長く見える(ハイヒール)と、単に良かったのだと思う。
それらを良いと感じてしまう感覚を持ち合わせてしまっているとしか言いようがない。
絵画も、家に描いてみたら、壁に掛けてみたら、単に良かったのだと思う。
いくら理論を重ねても、結局それらをどうしようもなく「良いと感じてしまう」という事実が脈々とあるのではないか。

飽きっぽいから、すぐに手を変える。
飽きっぽいから、それを自覚してさらに手を加えられる。
