例えばスターフルーツは売り難い。
日本の社会にも習慣にもその流通ルートが無いから。
リンゴはもうルートが出来ているので比較的売り易い。
その文化の中にルートの出来ている形でしか物は流通し難い。
そのものを、ルートの型にはめないと売る事は出来ない。
ある大工の職人が、ノミの技術に定評があったとする。
しかし、その技術は大工という大きなパッケージをしないと販売する事ができない。
ノミの技術だけをとって、何かを造ろうとすると、それは彫刻に近づくかと思うのだが、彫刻の流通するルートは日本にあまり無いので、それで生計は立てられない。
そこで大工とかインテリアとかに組み込んで行く事になる。
スターフルーツも、盛り合わせなどに入れてゆくしかない。
ある美術を扱う方が、美術作品はインテリアとしか考えていないとおっしゃっていた。
少し気になったのだが、まあ商売をする身としてはしごく最もな事でもある。
商いをする経路がそこになかったら、インテリアの経路を流用するしかない。
日本では絵画の流通よりも、建築やインテリアの流通の方が盛んであり、そこへ依存する事は当たり前なのだろう。
では、なぜ気になったのかというと、作品とインテリアを混同されたからではなく、美術の流通経路を造るという気概が感じられなかったからかなと思う。
いつか作品がきちんと流通する状況がつくれたらこんな事も考えないのだろうけど。

長い一本道で突然迂回を要求される。
もっと早めに看板を出してくれ。
うどんはうまい。
