これ、誤解の一端かも。
「美しい作品」という時に、美しさの基準は人によって全く違うので、「自分の思う美しさ」というようなニュアンスになる。
「お前が美しいとか言ったって、こっちはそんなふうに感じねーよ!」という種類の意見は飽きる程聞いたし、それによって「美しさを追求出来ない」、「美しいという言葉を使用出来ない」、「美しいという感覚に対して疑問符的に触れざるをえない」、という状況がうまれる。
僕だって、自分の作品が万人にとって美しい物になることは不可能だと知っているし、現に僕の作品自体、というか美術というメディア自体多くの支持をとれるような物ではないと理解している。
作品の美しさに齟齬が生じやすい原因は、その作品自体が「何かを体現している」、「表現している」、「そのままである」という認識の誤解から生じているのではなか?
作品はモノ自体が存在するのでややこしいのだが・・もしかすると作品とは、「その作品自体を媒介として、その作品体験以降のマインドや感覚を造っている」のではないだろうか?
例えば、ブルース・リーという映画俳優がいる。
カンフー映画のトップスターだ。
彼の映画を見た後には、なぜか強さに憧れ、悪を排すようなマインドに襲われる。無意味にパンチの素振りをしたり、世の悪を探したりしたくなる。
これは、ブルース・リー自体をかっこいいと思うのと同時に、その映画を媒体としてそのようなマインドを造り出したとも言える。
作品にとって美しさはそれ自体でもあるのだが、それを見た時に鑑賞者の中で着地する(のか飛躍するのか)美しさの地に降り立つ状態を創造しているとも考えられる。
宝石なんかも、それ自体は美しいのだが、それ自体が美の化身というわけではなく、それらが到達させる美の地平を喚起させる。
トンボの目玉とか、甲虫の模様とか、ちゃんとみるとめちゃくちゃキレイでかっこいいのだが、美の地平への到達力として女性に人気やストーリー性がない。
最後の文章は蛇足か。。まぁいいや。

制作。
