ほーかい


枝雀が笑いは緊張の緩和だと言っていて、それを談志も認めていた。
それを美術に転用すると何かなと頭の角でずっと考えているのだけれど、仮に「教養(知識)の崩壊」としてみる。
誰しも自分が信じてきた、もしくは創りあげてきた知識は必然的にその人の世界観に通ずる。
それを脆くも軽やかに破壊された時に大変清々しく感じる。
例えば、「子供の絵画に感動する」という感覚があるとして、それは自分のイメージする絵画とは色なり構図なり形態なりが逸脱しているからだと思う
しかし子供にはその自覚がないから、その絵を描いた子には知識の崩壊は起きていない。
知識の崩壊は鑑賞者のみに反映するのだ。
わかりきっている空間、わかりきっている世界、わかりきっている認識、そんな物を軽やかに壊す、裏返す、作り替える作法がそこにあれば、それを認識した者は自身の中にあるブレイクを経験し、快感と新たな認識を獲得し、それが美術の美しさに繋がるのではないかと。
そこで難しいのが、制作者側である。
制作者は美術世界の内部にいるので、美術に精通しているという点で崩壊の位置を探しにくい。
内部の美意識ではどうしても内部の美を作ってしまうのだ。(絵画では、タレとかにじみとかカスレとか。)
いや多分、個人的に認識においては小さなブレイクを達成しているのかもしれないが、それは他者を巻き込むような種類の物ではないのだ。
意識的な崩壊はその崩壊すべき土地に住む者によってなされるのが最も説得力が大きいと思うのだが、その土地に住む者はその土地を手放せない
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事務作業。
制作。