制作中の自分の作品を見てもっと「良く」しなければと思って描く。
この「良く」も微妙で、「美しく」とか「綺麗に」という意味から「大胆に」とか「格好良く」とか「うまく抜いて」とかまだまだ沢山の意味を持っていると思うのだが、とりあえず「良く」と表現している。
良くするという事を具体的に考えるのは難しい。
今ある色に別の絵の具を上から乗せる事で出来る効果を、正確にしかも何筆も考えるのは僕には不可能だと思う。
現在のパネル上もある一定の関係性を持っていて、それに眼が慣れているというか変化を想定出来ないと言うか。。
で、取り合えずどこが良くないかを探して加筆する事にする。
良いところを見つけるよりも良くない所を見つける方が楽だ。
じゃんじゃん出てくる。
そこで、ふと考えてしまったのだが、作品を鑑賞する時に美よりもアラの方を観ている自分がいないかね?
アラの多い絵は見ていられないと思う。
例えそれが素晴らしい作品でも。
しかし、アラが全く無い作品が良い絵かと言ったらそうではない。
パネルも展示も絵の具も構図も何から何までアラの無い作品が最も良い絵かと言ったらそうでも無いかも。
本当にそんな作品が有ったらよい絵なのかもしれないけど。
具体的にアラって何を見ているんだ?
展示や作品に対する「意志の量」かなー?
「意志の量」の先に美しいを観るのかなー?
意志が無くても美しい作品はあるかもだしなー?
面倒だから取り合えず絵を描きます。
