ぶっちゃけると僕の発言とか言語とかどうでも良い。
僕の言語が僕の作品に対して間違っていたり誤解している可能性は大いにある。
絵画は絵画。言語は言語だからね。
ただ、自分のしている事を無理くりにでも理解しないと漠然としすぎて立ち止まってしまう。
100m走を速く走りたかったら、毎日走って体力をつけるだけでは限界があって、フォーム改正とか食事制限とか靴の開発とかが関わる。
一粒百行という言葉通り、米一粒作るのに100の行いをする感じ。
資生堂の「色彩に入る」はどこからギャラリーに入っても画面右側を最初に目にするから、右側の色を強調し、目を引くような構図にする感覚で描いた。
でも、そういう事をいくつも課せないとあの大画面に絵の具を置く事が出来ないから、こんな事を考えながら描くのは詭弁で、制作を少しでも滞らなくするための細い道筋に過ぎないのかもしれない。
事実、作品を全部みると右側は目を引く場所では無いし。
子供の頃、小学校から歩いて帰る際に、電信柱を随時目標にして歩いたように、細かなポイントを幾つも判断して少しでも目的に近づきたいだけ。
それで、その作業(操作、行動、行為、制作)がどこかで「ぽい~ん」と飛躍してくれる事を望んでいるんだと思う。
飛躍の仕方は軽い感じが良いなぁ。
「レンガ積んでたら景色が良かった」みたいな感じ。
また解り難い事を。。。
制作。
