絵画をある独立した実体と捉えるような位置に立って僕は発言している事が多いのだが、それは人類が居るという裏付けの元成り立っている。
「絵画」は個人を越えて在るものだが、この場合の「絵画」は「人類」と対応している言葉になる。個人としての人は死ぬけれど人類としての人は死なない。
と言う事は「個人」と対応するのは「個人の絵」だけであり「絵画自体」ではない。
1個人が死んでも人間自体は死なない。1人格が無くなっても、人類の思考は無くならない。僕が無くなっても絵画は無くならない。
そこに何か実体を感じているのだと思う。
原爆等で無い原因で、一瞬で全人類が消えたら、当然その後に絵画は産まれない。
だから僕たちが絵画を思うときの壮大な思考は、僕という個を越えた人類の思考を想像していると言うことになる。
人の立場に立つような思考で考える。まるでオモイヤリのようだ
ただ、自分のペットの犬が死んでも犬という種自体は死なないが、ペット以外の全ての犬が死ぬより悲しい事もある。

以下余談。
「アイアムレジェンド」という映画のCMがやっている。人類が一人残して消えるらしい。内容は全く知らないし、観ることも無いのだが、人間が一人残ったら絵画は描かれるのかね?
多分ほとんど描かれないね。という事は現代絵画表現はある程度集団の人間がいないと発生しないかも。。
