外側


以前TV番組で宇宙の果てはどうなっているか?
と言う疑問に答えている物があった。
どこかの教授が「知識(想像力)の限界が宇宙の限界」だと答えていた。
莫大なスピードで無の場所に(「無」の「場所」って矛盾してる)空間が押し広げられている様は想像を超えていて、考えることが出来ないから、それを表したグラフをもって宇宙の果てだという解釈だった。だから、より知識の深い人間の方が宇宙は広いんだと。
その答えに西川史子氏が納得行かないとキレていて、記憶にとどめていた。
記憶や知識の外側に在る物を認知する事は出来ない。でもその記憶や知識にも種類がある。経験で得る知識と計算や本で知る知識。身体で得る知識と頭で得る知識だ。
例えば僕は利根川中流生まれなのでその辺の知識は在る程度あるが、上流や河口付近について何も知らない。
西川が言っていたのは臨場感のある知識、経験に即した知識だ。
でも、誰も見ていない物だから認識、共有するのは難しい。
僕が想像するのは気絶から目覚めるように空間が広がる感じ。
でも、それを得るには自分の身体が宇宙の外にあって、自分の身体がある場所を宇宙の膨張が通過しないといけない。自分は意識があるままに。。。
もしくは宇宙を俯瞰する神の眼が必要。
「神」と「宇宙」っていう捕らえられない2巨頭が揃うと、もう考えるのが面倒。
宇宙を考えるってそういうことだね。。