対話


朝から作業。
どんな作業もある一定の時間がかかる。

膨大な量のCDや本を見ると、「あぁ僕の時間を超えている」と思うことがある。
そのCDや本を聴く、読む、という作業をしたら自分の人生より長いという感覚。
僕のやりたい作業も、もしかしたらもう僕の時間を越えているかもしれない。
別にイイけど。

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作業中に調べ物をしていたら、不意にシンポジウム「絵画を再起動する/千葉雅也×池田剛介」が今日だと気づく。
先日美術犬のシンポジウムに参加したことで、とても疑問に思う感覚が発生していたので、同世代の言葉を聴いてみようと思っていた。
作業の区切りで移動。
北千住con tempoに20分程遅刻して到着。
満席。

池田剛介氏は若手美術家の言説の場でひっぱりダコの作家。
千葉雅也氏は専門分野が哲学、表象文化論、精神分析学の研究者/批評家。
双方とても明晰でいつまでも話せていそうな懐深さを持っていると思った。

・絵画を複数タグとして考える。
・文脈を束として考える。

という事を話している所が個人的には興味深かった。
絵画を複数タグで考えられる事は制作を実質的に考える時に判断する目安になるだろうし、複数文脈で考える事は作品を認識する際に多角的に眺めたり位置を判断する自由度につながる感じがする。
「文脈を束として考える」で、小学生の野比のび太君を中学生の野比のび太が、中学生の野比のび太を高校生の野比のび太が「勉強しろ」とタイムマシンに乗って怒りにくる感じを思い出した。
ドラえもんには複数のストーリーが常に流れている。

同世代が現在直面している問題を言語化している姿はとても刺激と勉強になった。
ただ、僕がシンポジウムを聞くことに不慣れな事と、現在1つの制作が佳境に入っていて頭の中に言葉があまり無かった事で拾えなかった事が多々あったのが残念。メモを見ても今は上手く言語化出来ず。。
(制作に沈んでいると頭から如実に言語がなくなってしまう。不思議なのだが、体感として50%以上の言語が無くなる。代わりに画面上の判断力が上がる。作品完成後作品について考えたり、本を読むとチャージされる。)

シンポジウムって大体3時間が相場なのかな・・?美術犬も3時間だった。
この3時間って人間の疲労や集中力に由来した区切りだと思うけれど、実際このテーマについて2人が話したらどれ位時間が必要なのだろう?そのテーマに応じて「必要な時間」を優先して時間を決めるというのも面白いかも。
とりあえずで1日5時間×1週間とかはざらに行きそうだけど。。

耳学問はなかなか考える事が多い事を認識した。
会場で先日「組立」に参加されていた上田さんにお会いした。

会場に池田氏の作品が2点展示されていた。
色々チャレンジしているのが伺えた。
池田氏の作品はアクリル額ごと基底材なので、最初から距離を内包したフィールドで展開している事が特徴的なのだと思う。(さらに透明樹脂の層があるので、基底材が元々から多層的。描画する前から多層的な所が珍しい。透ける素材での多層的な作品は結構ある。)
筆のタッチの代わりに型取りした金魚、葉っぱ、蝶等を使用するのだが、タッチの種類として金魚が一番好きかな。
金魚はタッチの方向性が解るのでまさに筆跡っぽい。葉っぱは動かない(トンっと置いた)タッチに見えるので動きが少なく感じるし、蝶は2~4タッチのユニットに見えるので不自由な感じがする。
あくまで主観ですけど。
金魚を扱った作品では児玉靖枝氏の2003年付近の作品が色やタッチが珍しくて記憶に残っている。
池田氏は今年、意識的に展覧会をされるようだ。
彼の作品は(僕もだけれど)見方が確立されていないから、あり方も含めて提示し続けるしかない。
というか、絵画自体は個人単位で考えると何から何まで構築する必要があるのだと思う。
「絵画」についての言語は結果「絵画」という物にならなければ実証されない所がとても難しくシビアな所だと思う。