「芸は身を助ける」と言い、舞台に上がる人物を「芸人」とよぶ。
お笑いの人達も芸人とよばれる。
お笑いブームの中、多くの若手お笑い芸人が生まれ消えていった。
芸という言葉で浮かぶのは、紙切りや独楽回し等なんだか古風なものだが、例えば三味線や長唄など人に見せる商売だろうが、たて笛や縄跳びだろうがある程度以上の実力があると芸があると評される。
なんの事はなく、芸という言葉で紙切りや独楽回しを連想するのはその分野で先陣を切る天才がいたからであり、別に何をしようともそれで身を食わせる事が出来たら「芸」という位置に昇華するらしい。(昇華って言葉も昇って華になるとは上手い言葉だ)
江戸屋猫八も玉川カルテットも他の追随を許さぬ芸があったので、芸人として身を食わせる事が出来た。玉川カルテット(玉川たけお、松木ぽん太 、二葉しげる、松浦武夫の時代ね。今知らないので。)なんて地味だし、芸人というカテゴリーにいるのでそのバックボーンが検証される事はないけれど、一つ一つの声や技術は超巧くて聞き入ってしまう。「芸」に昇華される線引きは、聞き入るとか見入る(魅入る)という他者の身体を獲得することかもしれない。
人を笑わせるなんてとてつもなく難しい芸で、さらに何か道具を使うより使わない方がという山登りのような理論で落語が話芸の頂点に長らく君臨していたのだろうか?
消えてしまった芸人たちは、身を助ける程には、そして聞き入る見入る程には芸が無かったのだろう。

最近みた「いつこく堂」の芸があまりにすごくて、たとえ面白みに欠けようが「これは食える芸だな」と思ったので。。
美術作家には「芸」があるのだろうか?

スカイツリーには芸があるかもね↓
東京タワーには芸があるよ。

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状況がフェアでないと、プレイヤーのパフォーマンスが下がる。
美術でも同じ。

短絡的に得をしたと思えても、それによって相手とのフェアな状態を奪ってしまえば、その場でのパフォーマンンスは下がり、結果精度を損なう。