大相撲が殺されようとしている。
細部まで精査されてそれに対して自粛するうちに無くなってしまうだろう。
本当に大相撲を無くしたかったのだろうか?
無くなったらつまらなくはないだろうか?
叩く側に明確なビジョンがあるのだろうか?
すべての八百長や何かが無くなったら相撲ははたして面白くなるのだろうか?
解体しようとする側には理論はない。
壊すという力学しかはたらいていない。
僕は相撲が好きなので現在の状況は面白くない。
絵画で絵を壊すという作業は、進展させるために使用する。
新しいキャンバスを張るのではなく、現在ある状態の上に新たにさらに上の到着点に至るよう残し壊し崩す。(人によるけど。)
そうすることで、良い場所は残り、悪かった場所は元々良いシステムで最初からそこに至るよりもさらに高い質でそこに現れる。
八百長があることは最初からわかっていて、それは現場を見たからわかるのではなく、世界がそのようになっているのが普通だからわかっているのだ。
例えばどのような人間ドラマにでもかならず暗い存在を背負う人物がいる。
向上心がないやつ、ズルをするやつ、人の足を引っ張ろうとするやつ。
あしたのジョーで矢吹丈が力石徹を殺してしまい、人の顔を殴れずプロのリングに立てなくなった時には、ドサまわりとして夢から崩れたボクサーと地方興行をまわる。
これをすんなりと受け入れられるのは、そのような世界がおそらくあるであろう事が容易に想像できるからだ。
会社でもイヤな奴はいるだろうし、場合によっては小さな悪に手を染めないとその場にいられないこともあるだろう。
一様に高いマインドを求めている人は、自衛隊の隊員がすべて愛国心にあふれていると本当に思っているのだろうか?
年間100人近い自殺者がいる状態で。
そして、その人が住む世界は誰もが正しい方向を向いているのだろうか?
人間だから、勝ち越しが目標の力士は8勝したら気が緩むよ。
そして、そのような力士は、もしくはそれを断ち切れない力士は上にあがれない。
それで良いと思う。
どんな事にもその段階による真実や限界があり、たとえば今の白鵬がすべての勝利を買うなんて事は到底無理だと言うことはわかりきっている。
高い位置にあがるまでには、たとえ毒とわかっていても食べねば進めないものもあるのだ。
今回八百長をしていた力士もその手法が三役、横綱になるまで、そしてそれを全うするまでその手法が使用できるなんて思っていない。
すべてのラーメン屋が高い志を持つ必要はないし、それでも適度に美味しくて近所の家族が来て、楽しむことが出来るという状態は当たり前の日常なのだ。
そしてそれを打破したい人間がさらに努力をするのだ。
明治維新を行った幕末志士たちには明確な新政府のビジョンが無く、ただ崩さねばという力学に乗っ取って行動を起こしたと言われている。
その時、竜馬がその先の新政府案を持っていたと言われる。(ほんとうかね?)
そういう新しいビジョンがどこからも提示されない。
若く未熟な人間のいたらなさを叱咤し、その跳ね返りでさらなる努力をするという事は個人単位ではあるかもしれないが、たいていの場合は崩したらそのまま崩れてしまう。
状況の浄化能力は内部にしかなく、それを越える力で押されると回復できない。
叩けば叩くほど不屈に復活すると思ったら大間違いだと思う。
もちろんやってはいけない事は分っているけれど、それを断ち切る勇気を持ち続けねばならなかった。
もしくはその勇気をどこかで獲得せねばならなかった。
でもそれは個々人の力士が各々で獲得し高みを見据えるものなのではないのかね?
眼に見えない暗さへの機微は、物事を面白く、美しく感じる為の重要な要素だと思うけれど。。
相撲が殺される。
美術も同じ様に殺されるんじゃない?
神も殺されたんでしょ?
変な文章書いちゃったな。
まあいいや。
※八百長と出来山について詳しい記事をお送りいただきました。
(玉木正之コラム、大相撲、「八百長」でなぜ悪い)
とても明解な語り口で、こんな風に書けたら良いなとうらやましくなるような文章です。
ありがとうございました。

制作。
