諸用事をしてから銀座。
資生堂アートエッグ水越香重子展オープニング。
水越さんの作品を初めて見た。
人が多いので、空間の端の方で観ていたのだが、中央に近い場所でないと三面ある映像の全てが見え難いので人が少なめにの時の方が鑑賞し易いと思います。
前回の平野薫さんは画廊の中央に強い求心性があって、でもそれが彫刻作品の様に物体の量感に向かうのではなく(一概に言えませんが便宜的に使用)、空間に広がるような展示でしたが、水越さんの作品は物語や場面によって使用されるカットにより、空間の中心となる面が鑑賞者によって流動的に選択される様な感じでした。
第1回Shiseido art egg
水越香重子(みずこし かえこ)
映像
展覧会会期:2007年2月9日(金)~3月4日(日)(21日間)
オープニングを途中で抜けて、
Simon PATTERSON 「The Last Supper,1998」
ヴァイスフェルト
2007.2/2(金)~2/23(金)日月祝休
11:00~19:00
名前による肖像画のシリーズ。
ただ、「画面に名前がある」という言葉以上に、「画面に名前があるという状態のパネル」という実体がそこにはあるので、僕自身の中では、頭で描く想像と実体には結構ギャップがあって、眼と頭が分離した様な感覚があった。
ギャラリエANDO
工藤礼二郎展
2007 .2/6(火) ~2/24(土)
空間を確認しに行く。
展示される作品や観る時間帯によって空間量が大きく異なる様な感覚のあるギャラリー。
工藤さんは「黒」のオールオーバーにも見える画面の中に色彩を感じ取る作品。
しばらく画廊にいると、眼が慣れてくるので、グレーがかった赤味や緑味が見える。
この作家が「眼の慣れによって見える色彩」に最初に気づいたはどういう時なんだろう?
作家本人は元から慣れているからすぐに色が見えるのだろうか?
ジェームズ・タレルの闇で色彩を観る作品を思い出した。
