暗順応


寄井座にいると人がコンスタントに来るのでなかなか外へ出られない。
梅里でヴォーン、Kさんとランチ。
明日のイベントに向けて買出し等でテンパっている。大変。

ヴォーンの大粟山の作品写真を撮る。
城西高校の学生と制作された、飛び石を模した作品。
モデルとなってウロウロ歩く。

上角地区で草木染のイベントがあったので、Tシャツを染めに行く。
面白い色に染まるなぁ。

寄井座の作品、仰望の色は通常美術館等で作品を観るよりも暗い照明で展示されている。
照明が暗いと言うことは、色を見るための条件に乏しいと言うことになる。
それでも、寄井座自体は大変見所の多い空間である為に、ある程度長く滞在することになる。
その間に、眼はその暗さに慣れ、慣れた眼は慣れる以前の眼よりもより多くの色彩を観る事が出来るようになる。
暗い中で眼が慣れてゆく事を「暗順応」という。
暗順応は人間が普通に持っている能力で、夜中電気を消してからすぐは真っ暗だが少しすると室内が見えるようになるアレである。
この眼の作用により、会場に入って最初に作品を観た状態よりも帰る間際の方が見える色が格段に増えることになる。
絵画が見える、見えないという2つの状況の間がこんなに細分化出きる事はあまり考えたことが無かった。
ジェームス・タレルの南寺の作品は暗順応を10分割したとして0から1へ向かう順応だが、寄井座の光量はそれよりも大分多いので、4~6位の所で見せてゆく感じなのだろう。僕が今まで展示していた空間は7~9といった高い光度の中で考えられている。
暗い所で展示する経験が無かったらこんな事は考えなかったと思う。

絵があり、絵がある空間があり、空間を認知する眼があり、眼を運ぶ身体がそこにある。
それらはすべて前提で、また考える余地がある。
そうなる事とそうなってしまう事。

よく宿舎屋上で星を眺めている。
日々の行いが悪いので、皆よりも流れ星を見つける数が少ない気がする。
神山はもうすっかり寒い。