快心の文章なんて書けたことが無い。
もちろんこの文章で快心の物を書こうとは思っていないのだけれど。
文章になったと言うことは、言葉を選択したとも言えるが、選んだ以外の言葉を排除したとも言える。
選ばれた物はニュアンスの近似値であり、排除した物が全て完全に無しなのではなく、排除した事でその言葉の持つ欲しかったニュアンスを得られない。
絵画も選択している以上同時に排除もしているので、完全な作品にたどり着くのは相当至難の業なんだろうね。
そう言った意味では、ミニマルな表現とかはかなり意志に近づけるとも言えるのかな?
