・トーキョーワンダーサイト渋谷:TEAM 16 | 荒川智則個展 presented by カオス*ラウンジ
・トーキョーワンダーサイト渋谷:TEAM 17 | わくわくSHIBUYA coordinated by 遠藤一郎
・hpgrp GALLERY東京:ANTE VOJNOVIC / アンテ・ヴォジュノヴィック
・NORTON GALLERY:秋本貴透
・ラットホールギャラリー:オスカー・トゥアゾン&ガーダー・アイダ・アイナーソン
・ギャラリー現:田島 鉄也
・Gallery 銀座 フォレスト・ミニ:戸村香×公地由佳展
・コバヤシ画廊:杉田和美展
・ギャラリー東京ユマニテ:野田裕示
・西村画廊:町田 久美

大学講評。
提出前の2週間程度で状態はガラッと変わるんだなぁ。
制作者の未来は制作する事以外では変わらないと思う。
頑張って下さい。
僕も頑張ります。
以下教育系のメモ書きまとめ。
バラバラに書いても説教クサイので。。
教育って、自分がそれまでその分野で対処していたなり振りや所作がモロに出る業種なのかもしれない。
気をつけなければ。
自分が知者で無い事を自分は解っているので、教育の場での発言に痛みを伴う。
人に意見を言うということは相応に自分を削る。
強い言葉は自分に返ってくる。
例えば「生きる資格がない」と人に言ったら、それを発言した強さに自分が取り憑かれる。(そんな事は言わないけど。。)
教育の為に使った言語も自分に取り憑くので、それに耐える必要がある。
「絵」自体を教える事なんて多分無理な話なんだけれど、何を教えられるかというと状況の打開する方法なのではないだろうか?
状況を打開するには、自分の持つツールから必要な物を選び出し、それを行使することを繰り返す必要がある。
その為には、ツールを増やす事と応用力が必要になる。
絵画制作においてツールはいろいろな画材や技法や知識であり、応用は経験やその場での多くの答えだ。
勉強をすると自分が知った以上の事をできるようになる。
その、「知った以上」を作り上げる為に、次の一手に至る方法が必要となる。
学生は能力は団子だと仮定すると、教員の能力が重要になるのだろうね。
美術史や美術の現状を勉強しないと、自分で思い付いた物がどのような物なのかが判断出来ない。
例えば、新しいギャグを思いついたと言って、「そんなのかんけいねー!」とか「残念!」とかを言ってもウケるはずがない。
その本人が本当にオリジナルで造り出した物がそのギャグだったとしても、それは受け入れられないだろう。
情報を仕入れないとは、そのような恥ずかしい事を平気でやるようなものになり得る事だ。
制作の動機が「新しい物を作りたい」でも「既存の価値観を壊したい」でも、何に対して新しいのか、何をもって既存と言うのかは、多くの物を見なければ判断できないだろう。
制作で悩むのは当たり前のことで、その悩んでいる状態でいかに手を出してゆくかが問題だ。
どうなるか100%分かっている状態で制作が進行する事はありえない。
それが自分にとって未知の領域であるならば尚更の事だ。
悩んでもいいから止ってはいけない。
学生の制作に対する「苦しさ」、「心細さ」、「寄る辺無さ」は理解できるが、「やらなさ」は理解できない。
「理不尽に耐えろ」って立川談志が言っていた。
とても良くわかる。
勉強は自分にとって未知の物を取り込む作業なので、もしそれらを取り込む道程が理不尽に感じても、その未知の物を自分がまだ取り込んでいないという理由で、それについて判断できないのだ。
だから耐えるしかない。
教うるは学ぶのなかば
