絵画はおおまかにいって二つの存在が合わさった物である
一つは画布、紙、パネル等に代表される基底材。
もうひとつは、絵の具、鉛筆、インク、クレヨン、時には糸やテープや枝等多岐にわたる描画材である。
基底材の上に描画材によって何かしら操作を施す事が、いわゆる制作になる。
僕は常々基底材と描画材のパワーバランスが悪いと感じている。
基底材は基本的に素材である事から飛躍しない。
紙にしても布にしても、その上に下地の処理等加工が発生したとて、その処理された状態の物質を越えない。
ジエッソ地は描画に適したジエッソの形態で、石膏地は描画に適した石膏の形態なだけであり、そこで良し悪しは別に物質として完結する。
しかし、描画はその物質自体が意識になり、リズムになり、物語になる。絵画になるのだ。
パネルやキャンバスとしての基底材が美しいのかという事をさておいて、基底材は基底材としてゆるぎない。
しかし、それらの上にのせられる描画材は、様々な立ち位置をまたぐ為に、基底材と対立する物として脆弱である。
話しは飛ぶが、飛行機で都市部の空港に降り立つ際に、見渡す限り建造物に覆われた大地を見たことがあるだろうか?
山谷に沿い、時には削り、皮膜の様に家々が大地を覆う。
基底材としての大地。描画材としての都市 (街並み、人工物)と考えた際に、都市が明らかに違和感を持って置かれているように感じる。
木々に、水に、砂に、雪に覆われた風景を、大地と逸脱した物とは感じないのに。
絵と基底材の感覚はこんな感じ。

レントゲン返却
