マーカス・ロスコウィッツ


午前中作品集荷。

午後は電車で川村記念美術館へ。雨降りそう。
マーク・ロスコ展。
巡回バスは平日1時間に1本なのね。合わせるの難しい。

マーク・ロスコ 瞑想する絵画:川村記念美術館
ロスコ展素晴らしい。
僕は今まで見逃した展覧会で最も悔しいものの一つが1995年川村記念美術館と東京都現代美術館でのマークロスコ展。当時高校3年生だったので、遠く美術館に足を運ぶ習慣が無かった。ロスコ知らなかったし。
入り口の1点との対峙、壁面上部に囲うようなシーグラム壁画の空間、目線の高さに展示した黒い作品の空間と大まかには3つの作品のあり方だったのだが、僕自身の制作に対しても考える事が多かった。
作品が良いから考える事が多くなるってとても凄い事だし、幸福だけどね。
以下大気になったことを大まかに。
・やはり絵画は大きくなればなるほど同等に大きな空間を保有する事になる。絵画は壁と同じ場所にあるので、単純に絵画がでかい=壁がでかい=空間がでかいとなる。
するとやはり身体から絵画までが遠くなる。
そしてその絵画がその空間を想定されたもので無いときに空間の対する占有率が激減りする。
ロスコの作品を「同時に沢山見たい」と言う事と「囲まれるように見たい」は両立が難しい。
ロスコは自身の作品を見る最適な距離を60cmとか言っていた様な気がする。
それと大画面と大空間との関係性はとても慎重に落とし所を吟味する必要がある。(でも川村記念美術館は美しい展示で成功していたと思う。)
・ロスコの作品は側面まで色が入っていて画面の意識が側面まである、もしくは側面までを絵画寄りにしていた事を伺わせる。ここが僕とはかなり解釈が違っていて、僕はパネルは空間寄りだと思っている。(側面まで画面の意識があるというのは言い過ぎかもしれない。画面と側面では絵の具ののり方が明らかに違うので、「パネルが絵画寄りという意識」の方が近いと思う。)
そして、パネルの底面は色の入り方が甘い事からここまで高い位置におく事は想定していなかったと思う。(下から見られると思っていなかった。)
でも、これが画家の意識を離れた他者(キュレーター)の展示意識として面白いと思う。
ある部分、作品について「遊べる」のも「実験できる」のも作家のもつ特権的自由なのだが、手を離れるとこんな事ができるんだなぁと思う。
・ロスコの絵を説明するとき、おそらく、大画面の暗めな色彩の中に2個~3個の輪郭がぼやけた四角を配した絵(難しい・・合ってるか?)。みたいな表現をするかと思うけれど、要素が少ないようでこんなに多彩な構図や極めをするんだなと思うと嬉しくなったし勇気がでた。
・また簡単なようでとても上手で、しかもなぜ美しいと感じるか分からないけれど美しいという所が本当にすごいと思う。

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バーガーキングのワッパーを食べた。10年位気になっていたから。
元々ご飯派なので食べる機会が無かった。もう熱は冷めた。