サッカーワールドカップが近いからサッカー関連のCMが多い。
もう日韓開催から4年。早い。
ナイキのCMで、「ゴールが美しいのではなく、シュートをするという行為そのものが美しい。」と言う様な内容の物が流れている。
この言葉自体はとてもカッコイイし、ナイキらしい前向きなメッセージがあって面白いのだが、これを曲解して美術(他のものでも)に当てはめ「じゃあどんどんガムシャラに描けば良いんだ。」と思ってしまう制作者がいそうなので考えたこと。
ここで「キック」ではなく「シュート」と言っていることが重要で、シュートって言うのは「思い切り振り抜いた足から放たれるボール」の事では無く、「ゴールに向かって飛ぶボール」なのである。
いくらうまくパスが回ろうと、素晴らしいドリブルで抜け出そうと、最後のキックによって飛んだボールの方向がゴールから90度、もしくは180度違って自陣へ蹴ってしまったとしたら、それは「シュート」とは呼ばれないだろう。
全く同じ足の振りで、全く同じ強度のボールが飛んだとして、蹴った本人もシュートのつもりでも、その球がゴールの枠とは言わなくてもゴールに向かって飛ぶ事が重要なのだ。
素晴らしい動きとか、美に向かう動きはやはりある程度ゴールに向かう動きなのだと思う。
美術のゴールはサッカーの様に四角くなかったり、点在していたり、不意にあったり、まだ見つかっていなかったりすると思う。そして常に移動もしている。
それでも、そのゴールに向かって蹴るものがシュートであり、良い作品につながるのではないかと思う。
移動していたり、見えない物にどう蹴りこむんだと思うかもしれないが、それは自分で設定し、自分で説得し、自分でそこにゴールがあることを見せる必要があるのだと思う。
作品で、言語で、行動で、ゴールを眼に見える様に形作り、もしくは蹴った方向にゴールネットを張る事が出来るのが美術なのだと思う。
じゃあ、今一番売れて、今一番大きなゴールの真ん中に蹴っている物が一番良い美術なのかと反論されそうだが、得てしてど真ん中のボールはキーパーに取られるし、ビューティフルゴールって臭いところに蹴りこんでいる。
サッカーならゴールに向かうボール、野球ならストライクになるボールというだけで、ど真ん中とは言っていない。
でも矛盾する様だがガムシャラに描く事はとても良い事だ。そのガムシャラに描く先にゴールを設定するという意識が出来るだけで、方向性が生まれる。
画家よ絵を描け。ってダリが言っていたよ。
