次の展示の為に提出するコメントを最近書いていて思うこと。
僕は、自分が公に発表する文章は意識的に前向きな言葉で造っています。(このブログは一応公に出していると言うのかもしれないけれど、ここでは線引きとして違う種類の媒体を指します。)
それは、とても理想的な言語だったり、希望的な未来を示唆した言葉です。
なぜ、そうするかと言うと、僕が誰かに対して自分の苦しみや懐疑や嘆きを発する事が僕の絵画にとって、しいては美を観る事にとってプラスにならないと思っているからです。
ともすると、人間の感覚からは逸脱した空虚な発言とも取れるかと思いますが、それは僕が自身の作品の質を高める事や、美術、制作に対して取る行動の質によって多少なりとも埋める事が出来ると考えています。
愛の事だけを切々と歌詞に載せて歌うミュージシャンや、楽観的理想の上に成り立つ国家論をまくし立てる政治家に、僕はクーッっと心が痛みます。
ただ、本当にそこに向かって進むことが出来るのであれば、それはとても素晴らしい事だと思います。
それは、自身の言動や振る舞いに現れてしまうので、頑張らなければいけないと自分を鼓舞する意味もあるのだろうと思います。
